2009年11月10日火曜日

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 果たして人間の幸福とは一体なんであるか、そんなことをここ10年来考え続けているが真相を探ろうとすればする程答えは遠ざかるばかりである。

 さておき、結核の薬が強いのか、それとも結核そのものに依るせいか体力の減退が著しく、こうして外に出て日記をつけるのも億劫という有様で、先月分のものもお座なりになってしまっている。因に先月分は、バイクでバリ島を一周した際のことを書こうと思っていた(この無理が祟ったのか随分休んでいなければいけない羽目になったが)。そう9月20日頃私はバイクを購入した。いよいよ様々なところに行ける様になったわけだが、同時期に結核の診断も受けたのである(クソ!)。体の抵抗力が減少し、肝臓の機能も低下、運動するとすぐに動悸が激しくなり、胸に圧迫感があるため食欲も失せている。個人差があると思うが、私自身は体力が約半分に減退している様に感じている。それでもかつては死病であったこの病気も今日ではそうではない。子供の頃から、もしも別の時代に生まれたならば、どんなにも生き甲斐があったであろうだろうかと夢想するのが癖(当然これは只の幻想に過ぎない)の様になっていたが、皮肉にも今日、この時代に、現代科学に命を救われたのである。一度失ったも同然の命ならばこの後どうなっても構わない(しかし実際には私は常に恐怖に怯える心の持ち主で、蚤の様な人間であるが)。

 さて、今回はこれ迄インドネシアで人と接してきたことの、ぼんやりとしてつかみ所のないことではあるが、感想の様なものを書いてみようと試みる。初めに断っておかねばならないがこれから書くことは、これから新たにインドネシアへ行こうとする人以外には役に立たないであろう。かつ矮小な一個人の胸の内を垣間見るだけのことである。
 インドネシア人といっても私が接した数少ない人間の多くはsasak人である。他に、bali人(若しくはその子孫)、ジャワやスマトラ、スラウェシ、スンバワ(Nusa Tungala Barat )、ビマ(Nusa Tungala Timur)の人を始め少数の多様な民族の人と日常的に対面してはいる。
 インドネシアは大きく国が定めるところ4つの宗教に分類され、約3000の島々、約250の数千種類の言葉を使う民族、が統合され1945年の独立により誕生した国であるが、約350年(と3年半)の植民地時代以前の王朝より続く、多数の島からなる集合国家である。現在私のいる島はLombok島。人口の約80パーセントがイスラム教を信仰している。そんな事前情報が役に立つかどうか私は知らない、なぜなら我々日本人は一国一民族、己の名に対する応分なわきまえと恥を最も重要視し、宗教は国を治めるめる者の処世術程度に考えていながら、己の心と自然の中に住む神を非常に尊敬する、一種、異様なる民族である。
 インドネシア(ロンボク)での暮らしでは、こちらの風習に、成る程と関心することよりも、不快になることの方が幾分か多い様に思う。つい、不快なことが許せない自分の矮小さを思い、葛藤してしまうことがあるがこれこそ私が日本人である証拠だと、こちらの人々をみていると気づかされる。それでは、どの様なことが不愉快であるのか、いちいち全てのことに不満を述べる馬鹿男の様に、述べてみることにしよう。屢々、私の心を彷徨う旅の一片にお付き合い頂きたい。
 インドネシアでは都市の大小に関わらず人のいるところにゴミが散乱している。人々はゴミを別のところに掃き、またそこにゴミを捨ててもよしとされる。その結果、道脇にはゴミが散乱し、生活のための水路は水の底が見えない程ゴミで満たされる。最終的にそれらのゴミは、にそのあたりで焼かれて灰になるか、人の目のつかないところに永久に溜まるのである。ゴミの拡散する同じ道路上で人は物を乞うために手を差し出す。こうした状況は経済の発展と無関係ではないように思える。(彼らにとって私が初めて会う日本人ならば私は日本から来た親善大使である。ならば私にとっての彼らもまたインドネシアを代表するものではなかろうか。(無論事実はそうではないが。))
 相対的にみて彼らは、目先の利益に目がない。将来の利得よりも、今日の一銭が欲しいのである。荒野で一団が飢えている。数十キロ先に河があるかもしれない。それは恐らく北に進めばあるだろうが、南に1キロ先に小さな水たまりが見える。ならば人はどうするべきか。人間の全能力を使い、死を賭しても北に進む決断をするのが我々にとって美徳とするならば、彼らは小さな水たまりへ殺到し喜捨の精神を持って同胞を救うために分け合う事だろう。すぐに水は枯れてしまい、再び荒野をさまようことは目に見えているにも関わらず!しかし、彼らは忍耐強く試練に耐えねばならない。
 ただし、同時に彼らは商売においては非常に積極的で働き者である。その積極さを考えるとインドネシアの将来は明るいと言えるかもしれない。しかし発展とともに彼らは質の向上を常に目指さなければならないという精神上の壁を超えねばならないが。それは、今満たされているのに、どうして身を削って同胞と戦わなければならないのか?という疑問につながる事になるだろう。しかしそれこそが自らと同胞を低賃金と、物価高の狭間から脱出させる唯一の方法である。政府や企業の多大な不正のせいもあるかもしれない、二億五千万という巨大な人口のせいもあるかもしれない、しかし、もっと根底にあるこうした心の問題があるように常々感じる。
 こんな話がある。ある時期(忘れてしまった、思い出し次第訂正する)、スラウェシ島でとれるある作物(上に同じ)が国際的に非常に重要視され、価格が高騰した。作物の取引は活性化し多くの雇用と商売への新規参入者を生み出した。しかし、そんな時ある者が一回の取引の利益を上げるために作物に異物を混入させ重量をあげた。その結果その作物の国際的な信用性がなくなり、価格が一気に下落してしまった。その後その作物の価格は再びあがる事なくなった。そのものに対する信頼性がなくなったからである。最も価格が上昇すればそれだけ需要とのバランスが傾くのは常のことだが。これが只の逸話でないことは、私が身を以て確認している。そして彼らがこの失敗から何を学ぶか?それを想像するだけの知恵は今の私にはない。
 
 今回はやはりこれで終わりにしよう。腹立たしいときは、腹立たしくなる己を恥じるのである。そればかりでは、体に悪いから、酒を飲んで女性に愚痴を言うのが男の常であろう。(しかし、酒は結核でだめ。女性は国柄だめ。私の心身は悪くなるばかりである。)