2010年6月16日水曜日

婆との思いで


 人と人との出会いがどのような因果に依るものか、時々考える。運、天命、縁、はたまた似た属性の物が引かれ合う人間の特性か。しかし、この際そんなことはどうでもよろしい。目の前に現れる人間、事象、それらの全ては論理(くち)では説明できない。このかけがえのないものを心で感じ、大切にするべきで、それも一種の修練である(人は兎角他人に冷淡になりがち)。
 キンタマーニ山(インドネシア、バリ島東北部)のある村にて私がたびたび世話になった農家の婆が9日に亡くなったとの知らせを受けた。
 突然の訪問者であった私に、警戒せず、卑屈にもならず、いつも自然体で接してくれた。生まれた時から、農民として、農地と、自然と、社会と長年接してきたであろう婆の自然な様(さま)に私はいつも感心していた。というのも婆の動きの一挙一挙には動物の一種としての人間の老いたる姿を逐次感じさせるところがあったからである。それは自然の摂理のひとつを生身の人間で思い知らされているかのような、婆そのものが自然の一部の様な、奇妙だが気持ちのよい、妙に生々しい感覚である。これも婆が私に素直な、全くの自然体で接してくれたからだと思う。
(今ふと思い出したが、出会ったばかりの頃、婆は私はもうすぐ死ぬ、と言っていた。私はそのとき、婆、そんなこと言わないでくれと、日本の慣例どおりのことを言ってそれをとめてしまったが、戯れ言を言っていたのは若輩者で浅知恵の私の方であった。)

 私が問い、婆が答えてくれた、人間の貴重な生命の一瞬。人にものを伝えることが極度に下手な私。私の小さな心一つでは感じたことが大きすぎて、あふれて、消えてしまいそうだ。

雨期は畑に出られないので、農場の手入れ、雑務をする。収益にあまり影響しない時期のせいか肩の力も抜けた印象がある。

こうした葉っぱや花で作る物は世代を経て伝えられる。

婆の家は雲と同じ高さにある!

朝農場に出る前の私に何か簡単な朝食をこしらえてくれるので私は、家族と婆と二度飯を喰い、腹が満タンになった。その味を、私の脳はまだ記憶しているようである。

 生まれた時から今まで、この村の農家で暮らし、年は分からず、80歳か90歳。(後に戦中の記憶の証言から、77歳位であると私が訂正した。)若い頃は村から北部の港町シンガラジャの近くの市まで徒歩で山を下り衣類の行商に出た(バリの行政の中心はかつてはデンパザールではなくシンガラジャであった。)。子供は7人出産したが大人になるまで生きたのは3人とのこと。 




(文中おばあさんのことを婆としたが、私が愛着を感じ、そのように心で思っていたことなのでそのまま文にした。)