2011年3月10日木曜日

リンジャニ山近郊



 久しぶりにロンボク島の話。ある夜Bayanという村の一宅で喰わせてもらった、フキノトウの汁。人間なので色々な事を日々忘れていくが、強く心に刻まれて忘れる事ができないものも中にはある。それが私の場合はこの汁の味というわけだ。味というのは案外、長く心に残るものである。まだ雨期の開けきらないリンジャニ山に単身登ろうという無知で無謀な私に、心の利いた晩餐を用意してくれた。以前ロンボクの北半分を一周した際に泊めて頂いたお宅であったが、この日は近くの別の家に泊めてもらう事になっていたので夜半挨拶に行ったのだった。この村は島で最古のモスク(16世紀頃?)があり、独自の風習とイスラムが古くから融合していることで知られている。そんな村だが、意外にもこの村の人は酒を飲む。島でバリ人地区を除いては、この村の他に酒を飲むことが許される場所を私は知らない。理由をこの村の小学校の校長に聞いてみたところ、このあたりは乾期が長い上、昔から丘陵な山の中で働く意外に仕事がなかった。きつい仕事に耐えるため例外的に酒を飲むのだ、ということであった。乾期が長いの分、一年を通して働く期間が長くなるのである。私は滅多に飲めない酒に大喜びであった。味は米で作っているためにどぶろくの様だった。バリ人の作る椰子の酒と違い円やかで飲みやすい。

 泥濘化する頭の中で考えていたのは、泊めてもらっている方の家の事であった。
 その家には、夫婦と三人の子供がいた。子供のうち一人はその家の子供だが残りの二人は親類の子供である、という事は親から聞いていた。二人になったとき、子供がおしえてくれた話ではその子の両親はなくなっていて身寄りがないということである。里子、というのだろうか。学校から帰った後は、外に遊びに行く事などはあまり許されず、大人の帰ってくるまでは家事をするか待っていなければならない。食事の用意もこの子供がする。スラウェシ島でもこうした家庭事情をいくつか見たが、この一件、どう考えるか。
 身寄りがなかったり、極度の僻地に住む子供達を使用人として使う代わりに、学校に行かせ、食事を与える(インドネシアでは高校(中学?)までが義務教育で授業料は無料)。一種の契約の様な体である。裕福な家庭では大学や専門学校まで行かせてやることもあるが、田舎の所得を考えるとそういう例は少ないだろう。それでも雨露を凌ぎ、食事を得、日々の暮らしを得られる。子供はその大恩に報いるべく家事その他をするのである。
 が、この日の私には里親たる大人の態度が気に入らない。いくら喰わせてやっているとはいえ相手はまだ小学生ではないか。奴隷や金で雇った使用人とは違う。とはいえ、そういう自分も泊めてもらっている身である。
 この晩子供と一緒に寝たので、色々話す事ができた。
 「将来の夢?あまり考えた事ないよ。ここを出たら食べるものもなくて生きていけない。たたかれたりすることもあるよ、怒られたときはね。でもここ以外に行くところなんてない。外で遊んだって楽しい事なんてあるの?」
 普段は外で寝ているという彼は、ベットが寝にくいというので途中から外で寝た。

 地域や場所が変われば考え方もそれぞれ違う。とはいえ喰う、寝る、出す、といった人としてやっている事には寸分の差もない。この地球上のどこでも人間という一個の動物の種に違いはない。私は私の私見などは他人に押し付ける程の価値があるとは思わない。それでも世の中は色々な事を考える材料を自分に与えてくれる。それらはときに天から自分に課せられた謎掛けの様でもある。この一件、私の答えはまだ出ていない。ただ、己一個は道徳ある“人間”であらねばならない、と思うのみである。