2012年4月19日木曜日

ロンボク


 気候が温暖のためか、林の様な場所でも生産できる作物が多い。この点が日本と大きく異なる。日本でも農薬や科学肥料を使わない場合、土が一番重要とされ、落ち葉をよく集めては畑に入れているが、だったらはじめから木の生えている下でやればいいと思うのだが、実際そういう光景を見ないという事はそう簡単なことではないということだろうが、私は専門家ではないのでわからない。


雨期の上空。トラジャへ出発した頃は乾期の終わりで、一面まだ土色だった。



早朝、漁に出ていた船から魚をおろす。




このエイは結局500円くらいでおばさんが買っていった。


 農村の女性はだいたい中学か、高校くらいで結婚する。それではイカンということで、在学中に結婚すると罰金などの、罰則をもうけている学校もある。結婚前の男女の交際に、裸でさらし者にしたり、死刑にしたりなどの村独自のルールを決めているところもあるので、そうした慣習の束縛が結婚を早めている様に思う。





 2月、トラジャから、バリ、ロンボクへ。生物としての人間の有様、という様な事を念頭において半年間過ごしてきた。己を空にして、人の(接する相手の、主に農民だが)心の中を巡るような日々であった。何を得たか、結果は何か、とよく聞かれるが、結論というものは持たない様にしている。そんなもので、俄に自身を飾ったとしても、千変万化する現実の前には全く用をなさない。

 さて、私が接してきた人々であるが、多くは僻地に住む農民である。彼らと我々の住む日本との地理的距離が縮まることはないが、情報技術の発展により、その気になれば彼らとさえも光の速さで瞬時に意志交換ができる(現に私の携帯にはあのトラジャの山獄からSMSが届く。私の生まれた80年代でさえ、この様なコミニケーションはとれなかった。それ以前に道もなかったから、90年に初めて車をみたときは村の人は鉄の馬だと思った(この話は前市長、当該村の村長に確認し一応裏付けがとれた)。)。
 そして、何より、日本を含め先進国の人々が日常的に触れ、口にする物の、それらの物の流れの末端には、かならずこうした人々がいる。日本の生活水準を維持するのに、どれだけの世界の力が使われているか考えると、震撼する。(全くの余談だが、数字だけで見れば、年収70万(月収5.8万)あれば世界では上位1/3の高収入層に入る。途上国では物価も安い、とは一世代前のものの見方としたい。世界規模の国際企業の生産する商品の値段は、どの国でもほぼ変わらない。それでも日本での生活も厳しいのだが仔細はいい。)
 この人類の急速な変化は、生態としての人間の進化の過程の様に感じているが、どうであろう。兎に角、どんどん変わっていく世界を見失わない様、大きな視点を持ちつつ、日常をすごしていくというのが、私の様なムヨウな人間の目標です。人の一生はみじかい。


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