「1年に、子牛1頭です。」
10月も終わる頃というのにまだ雨が降らず、照りつける日差しの下、乾燥した田んぼに腰を屈め草を刈る女性がある。雨期では田植えに従事し、乾期も終盤のこの季節は田の整備を兼ねて、刈った草を雇い主の牛の餌にする。彼女の仕事は、小作人として1年ごとの契約で農作業に従事することである。
「子牛1頭は大体1万〜2万(円)になります。」という。
「子供が3人いますから、働きます。午後は家で篭作りをしています。全部で1日50〜100(円)位ですね。町での仕事ですか?私は農民ですから。」私の質問にそう答える彼女の顔は、明るかった。
世界中が豊かになることが人類の進歩と暗に信じている日本人の頭では、彼らのおかれている状況は理解しがたいだろう。
太陽に照らされ、乾燥した風に吹かれ、彼らの念頭にあるもの、それは何であろう。
「まあこんなもんです。貧乏人の暮らしは。」
笑顔でそう言う彼女の心に「応分」という感情がみえた。今の日本の暮らしではなかなか感じられない、生そのものへの分相応。
そもそも人間の幸福とは何であろう。
彼女の表情の他には、地平と二分に分けられた水色の空が、私の視界にあるのみであった。