2010年5月22日土曜日

5/22 見たまま
















 
 私のみてきた限りでは今日のインドネシアでは、不正が高い頻度でおこなわれ、そして市民はそれを当り前のことだととらえている。政治は国民に少しでもいい暮らしをさせようという意図は感じられない。意欲と、知力に満ちた若者にであえることはあまりない。モラルの基準は個人任せで、法の執行者としての警察は腐敗のため信頼がなく、裁くのも個人の裁量に委ねられる。市民の暮らしは依然として厳しい。
 
 しかし、そんな中でも私が出会った数少ない、モラルに対して常に前向きで、厳しい環境の中でも妥協することなく自分を律して生きている友人達に対して心からの敬意を表する。


2010年4月5日月曜日

4/5 喰うに事欠く、事欠かない



 日本は世界でも数少ない、喰うに事欠かない国の一つである。この喰うに事欠かないということは、ひょっとしたら生命の種としての人間の社会形成にとって、至上の目標なのではないかと、ちょっと思ったのである。私の見てきたところ、腹を満たすことに不安のない場所では、人間はあまり物質的な欲望に対して、がつがつしていない。経済の熟した地域、若しくは最小限の経済活動の他は自分達の食べる物を自分達で賄える地域がこれにあたる。

 ところが、この中間位にいる人達、つまり自分の食べる物が賄えない状態で貨幣経済の渦中にある様な人達が世界には大勢いる。喰うに事欠き、金もない。こういう状況で、己の精神と欲望を律して生きられるのならばその人は聖人である。

 人間は等しく優秀な頭脳を持ち合わせているにも関わらず、その行動は個人のアイデンティティーと切っても切りはなせない。人はアイデンティティーを自分の属する宗教や社会から作り上げるようだから(日本人には理解に苦しむ人も多いだろうが、神の子としての生を全うする人の世界になんと多いことであろうか。)、生まれた環境を否定し大どんでん返しをすることなど容易ではない。(人間は自分の生活環境がどんなものであれ、変化に対して嫌な顔をする。飼い犬や猫が餌や寝床が変わるのを嫌がるのに似ている。人間も動物の一種である。断じて生命の頂点に位置する優れた存在といった様なものではない。)

中間に生まれた人は、中間の世界で生きていく。

 こうして、世界のほんの少ない箇所に富が集中し、他の大多数が喰うに事欠き、金もないという世界を人間は何百年も変えられないでいる。


 生物と喰いものの関係は需要と供給である。喰うものが多ければ増えても生きていけるが、喰う物がなくなれば、飢え、死ぬ。喰うに事欠かない状況では人の心も安定する。

 日本は世界でも数少ない、喰うに事欠かない国、我々の子孫は100年後もそういえるだろうか、いやそもそも、そのこと事態どれほど正しいことなのだろうか?



 殆ど日常的なことなので、私もそろそろ慣れて、何とも思わなくなってもいいのだが、家もある、飯もある、家族もいる、着るものもある、体つきもしっかりしている人に、金を恵んでくれ、と手を差し出されると、困惑する。確かに暮らしが圧迫する程賃金も低いだろう、仕事も容易に見つからないかもしれない。しかし、だからといって私の顔が”白い”とみるとやたらに金をよこせというのはどういうことか。貴様に恥はないのか!と頭をボカとやってやりたくなる(いつまでも日本人的な判断基準ではいけない。相手の事情を考えなくては‥考えなくては‥!)。貨幣経済の低所得な領域にあり、家計がひっ迫しているのは百も承知である。

 逆に、貨幣経済から少し離れた地域では、金をよこせとせまられたことは殆どない。それどころか、私になけなしの金や物を、道中物入りであろうと、くれることもある程である。

 私は、人が死ぬ程の飢餓に立ち会ったことのない、極めて胃袋の幸福の絶頂にあるような人間である。しかしそれでも、喰いもの、経済、人間の生み出す世界の台所事情が少々気になるのである。台所は、卑しく、浅ましく、清楚で、高潔である。

2010年3月28日日曜日

3/28 喰いものの話



 インドネシア人と話していると、日本にあれはあるか、これはあるかといった話になることが頻繁にある。考えの至らない者になると、日本人の主食はラーメンだと思っている様な場合もあるのが、我々にとっても身近な野菜や果物、天然素材についてあるかないかと聞かれることが多い。バナナやキャッサバ、アボガドの様な熱帯産の物なら、ああそれは買うことはできるけど輸入品だよ、ということになるが、キュウリやホウレンソウ、カボチャなどを、さあこれはまさか日本にはないだろう!といった感じで聞かれると、何を言っていやあがる!という気持ちになる。しかしちょっと待てよ、我々が普段口にしているものは一体いつ、どこからやってきたのであろうか。キュウリ、ホウレンソウ、カボチャ、いずれも漢字にしてみると黄瓜、菠薐草、南瓜、これらの野菜が、日本土着のものとは思えない。

 人間は、身近なもの程まさしくそれが数千年前からの習慣でもあるかの様に思い込んでしまう様だ。そしてそれは、生きていく上で大して問題にならないから考える必要もない。私自身、日本で日常、道脇の畑で見かける野菜を、それが一体何故そこに存在するのか、ふと思いはしても次の瞬間には忘れてしまっている程度にしか考えなかった。人間がこうした誤認を本当に日常的に重ねていることにあらためて気づかされたのは、私が普段目にするロンボクの光景からだろう。インフラ整備の中途半端な町中のことである。壊れたアスファルトの道でジーンズ、Tシャツ姿で携帯をいじくり回す沢山の若者達を見るとどうも先行きの暗い気持ちになる。それは町中だけのことではない。島の農村部でも同じである。もはや伝統的な生活風景を見ることはできない。それどころか、何が自分たちの伝統、文化なのか既に正確に語れる者は殆どいないといっていい。彼らの持っている知識の根拠は、インドネシア政府による都合あわせの近代史教育と、私と同じ、既に子供の頃から日常となっている習慣への誤認である。大量消費時代の、我々の親世代が戦前に無関心であった様に、インドネシアの人々もほんの近い過去を誤った形で後世に伝えていくであろう。私はこれが人間の悲しい因習の様に思える。昨日より今日。今日より明日へ生きていくのが人間であるが、同時に過去から学ばない者は同じ過ちを繰り返す。歴史から学ばない人間の集団は、愚か者の集まりであり、罪悪である。言い過ぎた。

 私はどうも年寄りが好きな様で、また年寄りの方も私を好む傾向がある様だ。面と向かい合った人間は己を写す鏡である。そういう訳で、昔話をせがむ機会に恵まれるわけだが、往々にして当の本人が経験した過去と、世間で言われている見解とは異なる場合が多い。直接の息子や、孫でも若い世代が持っている知識は後者に由来する。ひょっとしたらこのことは万国共通なのかもしれない。先日もばあさんと孫の中間に座っていた私が、二人に伝統衣装に関する同じ質問を別々にすると、孫の方はこの地方で結婚式や祭りで使われる日本の学生服の様な物をずっと昔から伝わる伝統衣装だといい(始めは今着てるTシャツと同じよ、と言ったが)、ばあさんのほうは、最初こそそうだといったものの、よくよく思い出してみると違うようで、ほうじゃほうじゃ、そういえば大人はこおんな三角の形をした服を着ておったわ、と言う。そういう服は博物館にも展示されていなかった。孫のほうも初めて聞いたという風に驚いていたが、すぐに興味を失ったようで携帯のメールを忙しく見ている。婆さんは75歳位で、私(わたくし)は大東亜の学生です、これを小学校で教わったがどう意味だと私に聞いてくる様な年齢。日本の学生服の様な物の方は、恐らくオランダ/ヨーロッパがもたらしたか酋長、王族に着用を義務づけたものだろう。とすると、三角の服の方が、伝統衣装だと言えるだろう。若しくは私見だが、サロン以外何も身につけていなかったか。こういう小さな事実を記憶しておかなくては、以後この事実は失われてしまうかも知れない。

 しかしこうしたことの何と多いことであろうか。もし、読者の中に高年齢の祖父、祖母が健在の方があれば可能な限り昔話をせがむことをおすすめしたい。昔話の多くは我々の日常とはかけ離れたものであるかもしれない。しかし、世界とはまさに彼らの語るところそのままである。過去に学ばないものに、未来はみえない。

 子供の頃じいさんが言っていた、じいさんの子供時代の話。裏山で松茸が山の様にとれ、おもしろ半分に撃ってくる米軍戦闘機を芋畑にかくれてやり過ごす。爆撃の翌朝仲良しの女の子がどぶに横たわり、我らが中学校はかつて射撃訓練場であった。それらはほら話ではないどころか寸分違わぬ事実であることが、今、やっとわかった。


 話を本題の野菜にもどそう。では、我々の胃袋に消えていくそれらはいったいいつから、ここにあるのだろうか。電子辞書の広辞苑が意外と役にたった。少しだけ例を挙げる。


黄瓜:古く中国より伝来。

大根:同上。

菠薐草:イラン原産。16世紀中国より渡来。菠薐はネパールの地名。

南瓜(カボチャ):16世紀カンボジアより渡来。

ジャガ芋:アンデス高地原産。1596〜1615(慶長)ジャカルタより渡来。

トマト:アンデス高地。18世紀。

人参:西アジア。16世紀。

玉蜀黍(トウモロコシ):中南米。16世紀。

薩摩芋:中南米。中国、琉球、九州を経て渡来。17世紀。

キャベツ:明治初年以降。

白菜:明治以降。


 こうして見ると、普段我々がスーパーマーケットで買う様な野菜は日本で栽培が始まってからまだ数百年程しかたっていないものが多い。すると、我々の祖先はどういったものを口にしていたのだろう。弥生時代、米と大豆の栽培がはじまって以降、古くから渡来している、長いも、里芋、大根や、小豆といったものだろうか。数百年で食事の様式は随分変化を経ているのではなかろうか。すると、我々がこれぞ伝統の味と思っている数々の料理も、何を基準にそういえばいいのか、危うくなってくる。


 写真:トラジャ県南部山岳地帯にて、谷に生える水菜を収穫し帰路につく子供達。文明とはなれて豊かな自然の実りと共に生きていくのと、便利な文明のそばで貨幣経済の渦中で生きていくのと、どちらが幸せか?

2009年12月15日火曜日

12/15 (1)




 世の中の様々な事は複雑な機械の内部の歯車の様にかみ合い、連動している。よい事も、悪い事も両方である。独立しているものなどなにもない。それが紛れもない事実であり、時に抜け出せない程の悪循環となりえることを、この国はいくつかの例をもって私に見せてくれる。地表を這い回る一匹の蟻と全く同様の矮小さ、これが私という人間の等身大であろう。

 先日、日本の国際緑化センターの企画する海外林業人材育成研修がロンボク島で行われ、私も現地での日程に参加させてもらう事ができた。ここで研修の内容は詳しくは触れないが、植物、気候、畜産それに近接した人間の経済の現状をかいま見、こうした切り口から社会、人間のあり方というものを思い知らされる、たいへん貴重な研修であった。また参加者は己の自学研鑽のためにやってきており、その多くが女性で、私と年もあまり変わらないということであった。彼らの過去の経緯にも驚かされるが、発想、忍耐、エネルギーという点でこれからの日本の未来を支え得る有志であるといえるだろう。故郷の街では世の中の道を踏み外し(たとみなされ)、しかたなく放蕩生活を送る私である。身近な人からも嘲笑の的にされることの多い私の考え方が、通じる相手がいたというだけでも驚くべきことだが、まともに意見を交わす事ができることなどそうはない。彼らは私に再び気を引き締めさせてくれた。そもそも私には仲間など一人もいないのだし、これまでも路肩に死骸を晒すのを本望としてきたのだから、思うままに生きるだけである。


 さて本題を私の見ているこの島の光景に戻そう。
 インドネシアは国の発展上、近代に植民地であった期間が長く(約350年)、産業、文化、精神の蓄積が近代社会と必ずしも適した段階でない状態での独立、近代化であり、その反動から生まれる痛みも大きいと推測する。そしてその痛みを被るのは紛れもない人間であり、また痛みの元凶そのものも人間である。この国(或はロンボク)の人間がこうした状況を一日でもはやく改善し、発展途上国という枠組みから抜け出すにはどうしたらいいか、傍観者の立場ではあるが今回研修で学んだ事と絡めて、歯車の一端を考えてみたい。最も当事者達にはあまり興味がないことの様に見えるが。
 
 まず、他国と比べた時の国民一人当たりの経済力を上げなければならない。そのためにも地域もしくは国としての人口数と経済の均衡をとることが重要である。現在のロンボク島は70キロ四方の島に人口が300万人近くおりさらに人口は高い確率で年々増え続けている。只でさえ子供を沢山生む傾向にあるが、合わせて他の島からの移住者も増えていることが人口のさらなる増加の原因となっている。しかし、最大の原因はやはり子供を産む人間の考え方だと思う。一つ目はコーランによる、妻は畑であるから努めてこれを耕しても良いという考え。このことは、未婚の男女同士の接触を禁じていることの裏返しでもある。二つ目は子供が増えれば働き手が増えるという生活に則した考え。しかしこれも子供の養育費、子供を最初から労働力とする刹那的な処置にしかならないようなこと、こうした問題が重なれば自らの首をさらに絞める事になる。只でさえ教育を受けていない子供が早期に結婚してどんどん子供を作る事になれば幼い子供が増え、養育にも手間がかかる。そして学校で勉強をできなかった幼少時代を過ごした大人は、収入の低い、小作人の様な仕事に甘んじていく。先日も、少し歩くと、バイクやトラックが走る道脇で、谷から拾ってきた石をハンマーで細かく砕いている子供を見かけた。(道路を曲がってすぐのところに家があるにも関わらず!)建築資材として売るのだそうだ。見るとやらせているのは祖母だ。子供をこの様な使い方をする大人は全然駄目である。彼らは永久に続く貧乏の輪から抜け出せまい。増えていく人口に歯止めをかけ、地域の進むべき方向性を変えなければならない。こうしたことから、国民の道徳観念や精神が、国、又は地域の発展と深く関連しており、教育が不可欠であるといえる。


 ロンボクの主な産業は、北部リンジャニ山麓の豊かな森を使った作物の栽培と、乾燥して広く切り開かれた中部〜南部でのタバコ等の栽培、つまり農業が主体である。農業法の改革は島民の金銭収入の増加に直結する。合わせて

2009年11月10日火曜日

11/10



 
 果たして人間の幸福とは一体なんであるか、そんなことをここ10年来考え続けているが真相を探ろうとすればする程答えは遠ざかるばかりである。

 さておき、結核の薬が強いのか、それとも結核そのものに依るせいか体力の減退が著しく、こうして外に出て日記をつけるのも億劫という有様で、先月分のものもお座なりになってしまっている。因に先月分は、バイクでバリ島を一周した際のことを書こうと思っていた(この無理が祟ったのか随分休んでいなければいけない羽目になったが)。そう9月20日頃私はバイクを購入した。いよいよ様々なところに行ける様になったわけだが、同時期に結核の診断も受けたのである(クソ!)。体の抵抗力が減少し、肝臓の機能も低下、運動するとすぐに動悸が激しくなり、胸に圧迫感があるため食欲も失せている。個人差があると思うが、私自身は体力が約半分に減退している様に感じている。それでもかつては死病であったこの病気も今日ではそうではない。子供の頃から、もしも別の時代に生まれたならば、どんなにも生き甲斐があったであろうだろうかと夢想するのが癖(当然これは只の幻想に過ぎない)の様になっていたが、皮肉にも今日、この時代に、現代科学に命を救われたのである。一度失ったも同然の命ならばこの後どうなっても構わない(しかし実際には私は常に恐怖に怯える心の持ち主で、蚤の様な人間であるが)。

 さて、今回はこれ迄インドネシアで人と接してきたことの、ぼんやりとしてつかみ所のないことではあるが、感想の様なものを書いてみようと試みる。初めに断っておかねばならないがこれから書くことは、これから新たにインドネシアへ行こうとする人以外には役に立たないであろう。かつ矮小な一個人の胸の内を垣間見るだけのことである。
 インドネシア人といっても私が接した数少ない人間の多くはsasak人である。他に、bali人(若しくはその子孫)、ジャワやスマトラ、スラウェシ、スンバワ(Nusa Tungala Barat )、ビマ(Nusa Tungala Timur)の人を始め少数の多様な民族の人と日常的に対面してはいる。
 インドネシアは大きく国が定めるところ4つの宗教に分類され、約3000の島々、約250の数千種類の言葉を使う民族、が統合され1945年の独立により誕生した国であるが、約350年(と3年半)の植民地時代以前の王朝より続く、多数の島からなる集合国家である。現在私のいる島はLombok島。人口の約80パーセントがイスラム教を信仰している。そんな事前情報が役に立つかどうか私は知らない、なぜなら我々日本人は一国一民族、己の名に対する応分なわきまえと恥を最も重要視し、宗教は国を治めるめる者の処世術程度に考えていながら、己の心と自然の中に住む神を非常に尊敬する、一種、異様なる民族である。
 インドネシア(ロンボク)での暮らしでは、こちらの風習に、成る程と関心することよりも、不快になることの方が幾分か多い様に思う。つい、不快なことが許せない自分の矮小さを思い、葛藤してしまうことがあるがこれこそ私が日本人である証拠だと、こちらの人々をみていると気づかされる。それでは、どの様なことが不愉快であるのか、いちいち全てのことに不満を述べる馬鹿男の様に、述べてみることにしよう。屢々、私の心を彷徨う旅の一片にお付き合い頂きたい。
 インドネシアでは都市の大小に関わらず人のいるところにゴミが散乱している。人々はゴミを別のところに掃き、またそこにゴミを捨ててもよしとされる。その結果、道脇にはゴミが散乱し、生活のための水路は水の底が見えない程ゴミで満たされる。最終的にそれらのゴミは、にそのあたりで焼かれて灰になるか、人の目のつかないところに永久に溜まるのである。ゴミの拡散する同じ道路上で人は物を乞うために手を差し出す。こうした状況は経済の発展と無関係ではないように思える。(彼らにとって私が初めて会う日本人ならば私は日本から来た親善大使である。ならば私にとっての彼らもまたインドネシアを代表するものではなかろうか。(無論事実はそうではないが。))
 相対的にみて彼らは、目先の利益に目がない。将来の利得よりも、今日の一銭が欲しいのである。荒野で一団が飢えている。数十キロ先に河があるかもしれない。それは恐らく北に進めばあるだろうが、南に1キロ先に小さな水たまりが見える。ならば人はどうするべきか。人間の全能力を使い、死を賭しても北に進む決断をするのが我々にとって美徳とするならば、彼らは小さな水たまりへ殺到し喜捨の精神を持って同胞を救うために分け合う事だろう。すぐに水は枯れてしまい、再び荒野をさまようことは目に見えているにも関わらず!しかし、彼らは忍耐強く試練に耐えねばならない。
 ただし、同時に彼らは商売においては非常に積極的で働き者である。その積極さを考えるとインドネシアの将来は明るいと言えるかもしれない。しかし発展とともに彼らは質の向上を常に目指さなければならないという精神上の壁を超えねばならないが。それは、今満たされているのに、どうして身を削って同胞と戦わなければならないのか?という疑問につながる事になるだろう。しかしそれこそが自らと同胞を低賃金と、物価高の狭間から脱出させる唯一の方法である。政府や企業の多大な不正のせいもあるかもしれない、二億五千万という巨大な人口のせいもあるかもしれない、しかし、もっと根底にあるこうした心の問題があるように常々感じる。
 こんな話がある。ある時期(忘れてしまった、思い出し次第訂正する)、スラウェシ島でとれるある作物(上に同じ)が国際的に非常に重要視され、価格が高騰した。作物の取引は活性化し多くの雇用と商売への新規参入者を生み出した。しかし、そんな時ある者が一回の取引の利益を上げるために作物に異物を混入させ重量をあげた。その結果その作物の国際的な信用性がなくなり、価格が一気に下落してしまった。その後その作物の価格は再びあがる事なくなった。そのものに対する信頼性がなくなったからである。最も価格が上昇すればそれだけ需要とのバランスが傾くのは常のことだが。これが只の逸話でないことは、私が身を以て確認している。そして彼らがこの失敗から何を学ぶか?それを想像するだけの知恵は今の私にはない。
 
 今回はやはりこれで終わりにしよう。腹立たしいときは、腹立たしくなる己を恥じるのである。そればかりでは、体に悪いから、酒を飲んで女性に愚痴を言うのが男の常であろう。(しかし、酒は結核でだめ。女性は国柄だめ。私の心身は悪くなるばかりである。) 







 


 
 








2009年10月7日水曜日