2011年11月5日土曜日

Jakarta


 コンクリート製の、塔や城郭のような横穴式の住居が空に向かって伸びている。
それらの間を行ったり来たりする私はネズミか。では今、私の周囲にいるこの無数の者もネズミの仲間であろうか。不快な車の排気ガスやよく分からない粉塵が、肺や目に入り込む。わざわざこの様な所で住む事もなかろうに、それでもたくさんの私と同じネズミの仲間が、同じ様に行ったり来たりしているのである。あるネズミは持参の移動式台所で終止フライパンに向かい続けている。あるネズミは服を脱ぎ地上に横たわり、こげ茶の肌をむき出しにしている。このこげ茶のネズミを私の祖父は”ドジンさん”と呼び、遥か南方の方ではそういう土の人がいると子供の頃によくオソワッタが、何のことはない私と同じ人間である。もっとも祖父自身が頭の先から尻までこげ茶の色をしてたので私は親しみをもって、なるほどジイチャンの様な人が沢山いるところがあるんだなと思っていた。で、空想の中のジイチャンの様な人々はやっぱりあまりジイチャンと変わらないようである。
 世界レベルの商品を扱う百貨店、高層ビル、塔や城郭の様なアパート。それらと間隔をあけず広がる貧相な住居、路地裏。隆起したいくつかの大きな鍾乳洞の岩を中心として、小さなでこぼこが無数に広がっている様で、だいたいの人は小さなでこぼこの方に住んでいる。路地裏。
 
 世界において貨幣というものが、人間一人一人の力を無形の大きな流れに変えるものならば、この路地裏の様相を最も単純に語ってくれるのはそこに住む人々の賃金ではないだろうか。なぜなら地産地消の商品を除いては、世界を流通する商品の価格はそれほど変わらないからだ。賃金の価値は生活水準に直結する。
 ただ私も含めて注意しておかなければいけないのは、日本における1円の価値はインドネシアにおいても、また世界のどこにおいても1円であるということだ。1円をインドネシアに持っていけば十倍の価値があるのではない。一個一個のものが経てきた人間の力、その力の量が物の本来の価格である。そういう目に見えない流れを、人が作り、人はその自分が作り出した無形の流れの中で生きている。そういうことを忘れてはならない。
 

 例としてこの町の一人の技術労働者に焦点をあてたい。

 スユさんは今年で61歳、スマトラ生まれで大学のためにジャカルタにやってきたが学生デモに参加したため退学。その後日本の企業、スズキに入社して班長等を経て課長になり退職。最終的な月給は5万円程。インドネシアでは55歳以上になると保険に入れないか、価格が非常に高くなることと、銀行にお金を預けておいても毎月手数料として一定の金額が無くなっていくので先行きに不安を感じ、継続できる仕事を作るため、退職金でいくつかの事業を試みたがうまくいかず現在は別の工場で雇われて働いている。都市の中心部近くに住んでいるため、他の町にある様な昔ながらの市場が少なく、値段の高いスーパーマーケットで買い物をしなくてはならず、毎年広がる賃金と物価の格差に不安を感じている。日本の年金保証にあたるものは一般的にはないため働けるだけ働いておかなくてはならない。「この町で給料がよくても1万5千円、米が一キロ80円、肉が一キロ850円します。家のローンや孫達が病気になったときのことを考えるとなかなかたいへんです。貧乏な人はもっとたいへんです。でも政治はなかなかよくよくなりません。若い人達は高いお金を親に払ってもらって大学に行きます。でも、大学に行っても遊んでばかりで、本当にインドネシアのことを考える若い人は少なくなりました。」と語る。
 物価や年金、若い世代の無気力、社会への無関心さへの危惧などは一般的な日本の大人の抱える不安とよく似ている。
 インドネシアで最も人々が憧れる職業は公務員を例としてあげる。一般に公務員の給料が最も高く、高卒で一万五千円、大卒学士で2-4万円、修士で4-6万円、博士ではそれ以上となる。公務員になるのに試験を受ける他に、50-100万円の賄賂を支払うことも少なくない。
 
 スユさんのようなジャカルタでの一般企業への就職。一般のイメージとしての憧れの対象かもしれない。しかし、都市部で生活することで必然的に都市経済の渦の中に揉まれざるおえないことは地方の人にとって舞台裏の話の様な物かもしれず、どこか外国の暮らしを思う様なものでもある。
 私の就学先のロンボク島では月給1000円程度という人々も少なくない。次回は首都からはなれた、そうした村落部の様子をみてみたい。

1 件のコメント:

  1. 今年も飯田さんのグループがロンボク訪問だそうです。

    訪ねてみてはいかが?

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